ファシリテーションは機能である。

手段があるということは、その先に目的がある。その手段をどのようにすれば目的達成の効果が上がるかの働きかけが機能。
と考えると、ファシリテーションは機能なのです。

ファシリテーターが自分の為したい方向を優先し、参加者のことを考えていなかったり、
何をアウトカムにし、何を参加者に持ち帰ってもらうのか、考えていなかったり、
ファシリテーションは、決して場を創る側の自己満足で終わってはいけないのだと思います。

ファシリテーションが機能しているといい場になる。
目的の主語が参加者になってない場では、ファシリテーションを機能させるのは中々難しくなります。

そこで、思い出したエピソードがあります。
そうそうたるファシリテーターが集まる場において、「この場の目的は?」という確認でしばし場が中断しました。
「どう貢献すればいいか分からないからきいている」とそのファシリテーター達は言っていた。
つまり、ファシリテーションが機能するには目的が必要ということ。それが前提として場が成り立っているのだから、それを教えてくれということでした。

その目的がその場にいるメンバーにしっかり握られていなければ、どんなにすごいファシリテーターがメンバーにいても場に貢献することは難しくなるのです。
メンバーが握れない目的(例えば主催者側の自己満足とかアリバイ作りとか)であれば当然その場をファシリテートすることの難しさも上がるので、結果としてファシリタティブでいることが難しくなるのではないかと思いました。

であるならば、最初から参加者を主役に場を設計するしかないということになりますね。