聴くとは、ゆるすこ
「相手の言葉を受け取る」学びから考えたこと
もう先月のことになりますが、NPACCの「カウンセリングの基本応答」というテーマの講座で学んだ「相手の言葉を受け取る」ことから考えてみたことを書いてみます。
聴くとは、「人と人の間にあるテーブルにそっとその言葉を置いていく営み」
これは、その講座で講師のKou(国重浩一)さんが語っていた言葉です。
なんて素敵な響きをしているのだろう。ナラティヴ・アプローチのこのような言葉づかいが私は好きです。
発せられた言葉がそっとテーブルに置かれる。この状態は、何をもたらしてくれるでしょうか・・
多分、話し手は、自分が口にした言葉をもう一度聴き、味わうことになります。
自分の言葉を自分で受け止め直すことで、話し手は自分と語り合うことが出来るようになるのかもしれない。自分と他者を介して返される自分の言葉と相互作用しあっていくのかもしれない。
そして、話し手は自分の中をより探索しやすくなっていくのでしょう。
話し手が探索している間、聴き手も、ゆっくりとそのテーブルの上の言葉を見つめながら、共にその探索を経験しています。
この、共にあるという状態が安心感をつくりだし、人は聴いてもらえたという経験をしていくのだろうと思っています。
具体的には、そのまま伝え返す。足さない、変えない。そのまま話し手の言葉を組み込んで要約し、「〇〇と言われましたね」「〇〇とお聞きしました」「〇〇という風に私には聴こえてきました」・・・そんな風に伝え返していく感じ。
聴くといえば、カール・ロジャーズの「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」という3原則が有名です。
ロジャースはとても大切なことですが、これを「意識し過ぎると逆に聴くことが疎かになる」というKouさんの話に、なるほど!・・・と膝を打ちました。「そうせねばならない」という意識の矛先は自分に向いているから、ですね。そうではなく、向くべきは話し手の言葉の方ということです。
時に相槌をうちながら、それはどういうことなんだろう?という関心を問いかけ、相手の経験を私はこう理解しましたよ、と相手に伝え返していくことで、初めて共感的理解が生まれるということをしっかりと受け取りました。
聴くを探究するとは、人と関わるための基礎練習
リスニングのトレーニングは、まさにこの「そっと言葉を置いていく」練習を行います。
今回のお話でも、「なんでも基礎練習。野球ならキャッチボール、サッカーならパスの練習みたいなもの。どんなにスーパースター選手になっても毎回やること」とKouさんは言っていました。
つまり、人と関わり続ける限り、聴くを探究するって、ずーっとやり続ける基礎練習ということ。
多様な人が集まるリスニングトレーニングでは時にハードな場になることもあり、キャッチボール的な基礎練習というより、重めに加重をかけた筋トレをしている感じでもあります。
今日も逐語作成中で、筋肉痛がじんじんと効いているところです。
発せられた言葉は受け取られる必要がある
もう一つの印象的なフレーズが、「発せられた言葉は受け取られる必要がある。だからこそ、他者を必要とするのだ。」という言葉。
人は何らかのチーム・組織に関わっていますが、その日常の中では、ちゃんと受け取られずに、ポトンと転がり落ちて、誰にも受け取ってもらえない言葉のボールがどれほどあるでしょうか。
受け取ってもらえない言葉が再び語られるようになる確率は、かなり低くなってしまう。語られたとしても良い状態では表出しないことが多い気がします。
組織やチームの中で何かがおかしくなっていく時、必ずといって、この受け取られない言葉のボールが、どこかに転がっているはず。
聴くとは、ゆるすこと
そんな風に「聴く」ことについて考えてみると、改めて、「聴す」という文字を「ゆるす」と読む意味が実感出来る気がします。
参考:漢字辞典オンライン
この話を先輩ファシリテーターから聴いた時、私自身、泣きそうになりました。現場では、語ることがゆるされる場はあまりに少なかったからです。
今日、あるお客様の長期プロジェクトで伴走支援をしているチームの振り返りミーティングを行いました。
出来たこと出来なかったことというレベルから踏み込んで、グループダイナミクスの深いプロセスの振り返りが出来たことは、伴走支援してきた身としても、とても嬉しいことです。
そんな、彼らの現場でも、生産性や効率性が優先され、お互いの深層にある言葉を聴き合う時間がとりにくいことが、そこで語られました。
このプロジェクトの場のように自由に話せる状態は、中々作られていないのだ・・と。
来週、そんな悩めるリーダーの話をお聴きします。
これまでも何度かリーダーたちの話を個別に聴く時間を持ったことはあったのですが、今回はより語ることがゆるされる聴き方、つまり、その人と私の間にあるテーブルにそっとその言葉を置いていく営みを意識して、相手の言葉を受け取る聴き方をしてみたいと思っています。
(noteに書いたものの再編集です)